1980/8/2
朝なんとなくかったるいのですこしおそく起きる。
下のカフェテリアで朝食をとりに行こうとすると、北村がひょっこりYMCAにはいってくる。またもやすごい偶然。
カフェテリアにもどり、コーヒーなどを飲みながら、いろいろ話す。
まず2人で自由の女神の方へ行くことにした。YMCAの部屋をとろうと試みたが、Weekendのせいか、いっぱいだといわれた。
まあいいやと思い、卓己はジョギングで行くというので、僕は自転車で荷物をもってあげ、一緒に走る。
自由の女神には、自転車をいれてもらえなかったので仕方なく、自転車をおいて、船にのり、行く。
たいへん暑い日だった。帰りは彼は大変疲れたといって、バスで帰った。結局YMCAはとれなくて、かなりさがして、Ashley Hotelというところが、Twinで30$だったのでそこに決め、外をふらつく。
チャーハンの安いのがあったので食べるが五目飯みたいだ。
なんとなくBroad Wayをうろうろして、Hotelにもどったのだ11時過ぎだった。
Breakf.:3$ 船:1.5$ 飲み物:2$ 泊:15$ Di:3$ Food:3$
8/3
Hotelを10時30ごろでる。
レンタサイクルをさがすために、セントラルパークの方へ行くが、かなりさがしてやっとみつかり、ハーレム街をいっしょに走る。
セントラルパークは大変広い。面倒なのでもう2晩昨日のホテルに部屋をとり、またBroadwayを歩く。
天丼とギョーザを食べた後、×××映画にはいる。もろ、そのものズバリが見れる。夕飯はステーキ4$を食べる。大変安くおいしかった。
Drink:2$ Dinner:20$ 泊:15$ Shoese、靴下:20$
8/4
連泊のため自転車をおいてホテルを出る。
KOREAN AIRで予約しようとしたが、いっぱいだというので、Cancel待ちを頼んでおいた。8月28日のFlightである。
次に領事館に行って手紙を受け取るが、Yellow Stoneからのが,きていない。どこかをさまよっているのかもしれない。
次に、5番街を歩き、エンパイヤーステートビルに行く。登るのに1時間ぐらいかかる。
その前にペンシルバニア駅でBoston行きの切符買う。切手も買うがあとでなくしてしまう。
その後北村の指名でゲンロクズシに行く、ここでおもしろいことが2つあった。ハマチの話とトウフの話だ。
それから、やっとみつけた。Out Doors Shopでバックパックをかう。
チャイニーズタウンで食事をとる。卓己はマーボードウフ、俺はラーメンを食べた。
8時からのYankeesの試合に行くために地下鉄にのるが、すこし道に迷い、30分ほどおくれてStudiumにはいる。試合の最中に音楽がながれたりする。みんなYankeesのファンだ。帰りは11時過ぎで地下鉄の話がここでできた。たいへんこわいおもいをした。アーコワ。しかし無事にホテルに12時過ぎにたどりつく。
Baseball:8$ L:4$ D:8$ ビル:3$ 泊:15
8/5
NY最後の日、昼ごろホテルを出発し、STATIONに行きまず、自転車をCheck inする。
もうあまり行くところはなく、チャイナタウンに行き、グリニッジビレッジに行く。
まあ、きょうはふらふらしていただけだった。図書館にいってもすぐしまってしまったし、なにしろ翌朝の3:36のAmtrackにのるため時間をつぶさなければならない。待合所でねていると、かの東工大の彼氏が現れ、またも奇跡の再会をした。彼はいとこのところに行くということですぐ行ってしまった。
8/6
AmTrackはかなり遅れてきたが、まあなんとか4時ごろには乗ることができ、席もかろうじてとることができた。乗り心地はかなりよかった。
9時にはBostonにつき、Informationをさがす、Commonという公園にInfoはあり、地図を手に入れ、Boston大学の方に安いとまるところがあるというので、まずGrayhoundをLosまでの切符を買う。
Common Wealthという通りをずっと行くと、Boston Univ.ではドミトリーを探そうと思ったが、なかった。それで、仕方なくSouth Stationの方に戻り、Essex Hotelというところにとまった。
Boston大学ではDomitoryといったはずなのに、Directionをわざわざくれた。
また英語が得意のなはずの北村もコークを2杯頼むはずじゃーなかったのにコーク(ペプシ)を2杯買うはめになった。(New Yorkの話)。
Essex Hotelは二人で30ドルということでまあまあ安かったし、部屋の方はフロントのミスかもしれないが、たいへんいい部屋に入った。
自転車をとりに一人でSouth Sta.にいって、帰ってくると、北村は寝てしまっていてドアがあかない。Maidの人が近くにいたので、たのんであけてもらい、僕はたいへんだった。
その後また外に出かけ、6:49の映画をみにいった。
そういえば卓己は便所にトイレットペーパーがなかったためにWomen’sに行ってトイレットペーパーをもってきた。
夜はLoungeに行って、酒を飲んだ。
8/7
きょうはMIT HARVARDを回る。
はじめに自転車をGrayhoundに持っていってLAに送ってもらうことにした。
地下鉄に乗りMITにゆく、東工大と同じようにコンクリートの建物ばかりで、しかし、今ひとつきれいな感じだ。大きさはそれほど大きくなく、ほかの場所に大きな実験所や研究所があるのではないかと思われる。
夏休みだというのにかなりたくさんの人がいて、日本人の学生もいた。話によるとやはり、はいるのはそんなに、難しくないようだ。ただ、授業料が$5000で1年間で$15,000ぐらい必要だという。大学院からはいるのはかなり大変だといっていた。
アメリカの大学生はとうてい親から1年間に$5000もはらってもらえる人はすくなく、金持ちでなければ一流大学にははいれない。
しかし、Forceに何年かいれば大学にはいる金がもらえるということだ。Nickもその兄もそうして大学を出たということである。州立は$2500~2000ぐらいだそうだ。
カフェテリアでNudle&Turnというものを食べ、Harvardへ向かう。同じ地下鉄の2つとなりの駅である。
MITのModern Buildingに対して、Harvardは古風な建物ばかりで東大と似ている。渋いという感じで、歴史を感じさせる。
疲れたし、時間もたっぷりあるので、2時間ぐらい、芝生のところで転がっていると、『あのお、日本人ですか』といってきた1人の女性がいた。僕たちがうなずくと『ああ、よかった……』とペラペラ話しまくってついに夕飯を作ってもらうことになり、ご飯を4杯も食べた。梅干もありたいへんよかった。
僕たちは8時のバスにのるべく、Showerをあびさせてもらってから、Grayhoundに向かう。
駅でTokenをはらうところがなかったので『しめた』とよろこんだが・・・。
なにしろGrayhoundにのり、Washingtonへ向かうことができた。New York乗換えであった。
8/8
ワシントンについて、Mr.SoterにTELしようとするが、うまく伝わらず、officeにもTELするが、そんな番号はないという。
あとからわかったが、かれのofficeはCapital Hillのすぐ傍でEducational Drepにいるということであった。
なにしろWhite Houseにはいろうと、Ticketをもらって、1時間以上も待った。
その後、The Mallにならびたく、MuseumをまわりCapitalにも入ることができ、中からTELするとやっと彼と話をすることができ、9時Art
museumの前で会うことにした。
それまでGrayhoundに行って、TimeTableをもらい、Dinnerを食べた。9時ちょうどに彼と会い、20mlsはなれた家まで連れて行ってもらった。家には客が来ていて、ビールを飲ましてもらったりした。 |
8/9
車でまた、The Mallの方へ行き、CathedralやArmyのMuseumにつれていってもらう。
広島と長崎におとした原子爆弾と同じものがあったり、日本の戦車もあった。Space Museumではすごい映画を見た。
8/10
卓己は12:30のバスで帰り、僕だけSteveのところにとどまることになった。
きょうは一人でMallの近くをぶらぶらして、別にこれといって何も目新しいものは見なかった。
きょうはDinnerに別の客を招待してあって、うまいものがたべられた。ライスをつくってくれというのでひきうけたんだけど、作り方がまったくちがうのにはびっくりした。
また、日曜はあいている店がすくなくLunchに困った。
8/11
朝6:30におき、軽い朝食(アメリカ人はいつもかるい朝食しかとらない)をとり、SteveのOfficeまでのせていってもらい、やはり12:30のバスにのりPitsburgに向かう。
バスの中ではPaint屋をやっているとという若い人のとなりになりいろいろ話をする。
ピッツバーグでは3時間ぐらい街を歩き、Vocabrlyの増えるという本を買った。また、パンなどをかって、公園で食べる。
帰りには雨が降ってきた。TerminalのCafeでは日本人に会い、これからNYに行くのだといっていた。
バスの列にならぶと、変な男がべらべら話しかけてきたが、全くほとんどわからない。日本人がどうのとか、いろいろあまり気分がよくなかった。おまけにおまえは英語ができないでどうやって旅行をしているのだ。と、きくから『旅の途中で会った人たちはたいてい親切で僕のためにゆっくり話をしてくれた。あんたのような人には会ったことがない』といってやると、『ゆっくり話すことはよくないことだ』などという。よくきくとこれから日本にMilitaryの用事で行くということで、いろいろ話してみるとけっこうおもしろく、バスの中で隣にすわり、日本では東京を案内してあげることにした。
1$コインをもらった。
8/12
11:00近くにSt Louisにつき、後ろの方には日本人が2人いて、Grand Canyonの方へ行くというので、じゃあ一緒に行こうということになって、僕もSt Louisで一泊することにした。
これからArchに登るところだ。一見手抜のつくりでこわれそうなんだけど、上にあがってみるとちっともゆれない。
その後、今日は野球の試合があるということで、見ようということになった。St. Louis Cardinalsである。入場料は5$とNYよりずっと安かった。
まだかなり時間があったので何か食べようということになったが、なぜかBarにはいりビールをのんだ。
そのあとケンタッキーフライドチキンでチキンをかって、球場にはいるが結局カージナルスは4-0で負けてしまった。
野球の試合がおわってからジャズをききにいこうということで、探すがみつからず、またビールを買って、Hotelで飲んでねた。
8/13
きょうはやることがないなあと思っていたら、バスターミナルで草野憂也という人に会い、こちらの大学に通っているということで、市内を案内してもらった。
新しく買ったセリカにのっていった。
Bushのビール工場を見学し、ビールを飲ましてもらった。僕らは15:25のバスにのりFlag Stafへ向かう。
8/14
一日中バスの中ですごす。
St LouisでかったパンをたべAmalioでおりて、CafeteriaでボリウムのあるBeef&Beanを食べた。
8/15
朝、5時ごろおくれて、FlagStaffにつく。
アルバカーキでいっしょになった伊藤という人と一緒にG.C.につくが、そのバスの中はほとんど日本人だらけであった。
彼は日帰りの予定であったが、むりやり、一緒にとまることにして、4人で36$ぐらいになった。
West Kimのシャトルバスを使った。West Kimを見て回る。すごいところだ。
1時ごろ帰ってきたがLodgeが3時にならないとはいれないので、なんとなくまた、Barにはいって、かなりのんでしまう。アメリカ人がコダックのインスタントカメラで一緒に写真をとろうといってきて、写真がすぐできあがると、『これが、アメリカのテクノロジーだ』といって、自慢して見せたが、やはり、何がHigh Technologyなのかがまったくわかってないのである。
Dinnerはレストランは高いのでバスにのりGeneral Storeまでいって食べ物をかってきた。
伊藤さんは9日間バスのなかでねていたので、そのつかれが出たのか、ビールをたくさんのんだせいもあって、ぐっすりねたままであった。
夕日の落ちるのをみに行って、帰ってくると、まだ寝たままで、ビールを飲んだりした。
すると、ドアをノックする音がきこえたので『誰ですか』というと『お願いがあります。助けください。』というので、あけてやると、『足の骨をおった』ということであるが、よくわけがわからない。Lodgeのフロントまで連れて行ってやった。
8/16
ヘリコプターに乗る予約をしてから、食料をかいにいって、みんなでサンドイッチをつくって食べた。1人3$で一日分ある。
その後キャニオンの下の方におりていく。雄大そのものである。
ヘリコプターにのるには2:45の送迎バスにのらなければならないので、すぐ戻ってくる。
ヘリコプターは41.6$で20分ぐらいだ。時間的にちょっとものたりない感じもした。やはり$100以上ださなければ、十分にのれないと思った。
5時のバスにのり、Flag Staffに戻り、夕食のサンドイッチをたべて8:30のLA行きに乗る。
8/17
LAには朝の7時前についた。
コーヒーを飲み、パーソンスクェアに行き、その近くで朝食を食べた。
ミワさんに電話して、デズニーランドに行くことになった。ヒルトンホテルのロビーなどに日本語のガイドが無料でおいてあった。
まだ時間があったのでリトル東京へ行き、見物した。その行く途中がこわい。
帰るときは吉田君たちとわかれ一人だけだったが、恐いに目に2度もあった。
リトル東京は近頃できたばかりのビレッジが大変きれいで日本らしいこじんまりした、たたずまいを見せていた。
デズニーランドには直行バスで行き、2時についた。うまくミワさんとも会うことができ、中にはいる。広さは思ったほど広くなく、もっとデラックスなもかと思っていたが、そうでもなかった。
ただ、夜のパレードと花火はよかった。
8/18
11:35のAmTrackでダウンタウンにいく($2.7)領事館に手紙をとりにいく。
次にHILTONにいって航空券をとりにいく。ちょうど24日しかあいていなかった。
28日のキャンセルまちはどうせだめだといわれた。
ボズ・スキャックスのコンサートの券は24日の分しか残っていなくて、ついに見に行くことができなくなってしまったが当日ホールに行って払い戻しの人から買うことができないだろうかBroadwayなどのShopping街をあるいてグレーハウンドのターミナルへ行く、S.FへのRound Ticketは49.08であった。
トイレに行くがこの辺りは¢10程度いれなければドアが開かないので、ほかの人が出るのをまって、ただではいるのだ。ドアは日本のトイレのように全部あるわけではなく、きょうは黒人がにゅっと顔をのぞかせて、『マリファナはいらんかね』と言われ、『ノーノー』と一言で断ったが、ひどいもんだ。Ticketをかったのでもう一度Broadwayに戻り、みやげ物を見に行った。Leeのパンツを$20でかった。あといろいろおもしろいものがあった。$1でシネマに入るがやはり何を言っているのかさっぱりピーマンで途中でやめて、CafeteriaでDinnerを食べる。なにしろLAでもBroadwayといえども8時ごろになるとだんだん店がしまりだすので、すぐにバスターミナルに戻った。 |